黄金神社

台湾は日本統治時代に日本鉱業株式会社が黄金神社が採掘場の近くに大きな神社を建てた。ここにアメリカ人の同僚と一緒に行くことにした。台北市内から1062号バスを一時間ほど東へと乗って、黄金博物園で降りた。石階段を上り、大きい石灯篭の間を通って、振り返って見ると霞んでいる谷間の村と遠くの山々、そして海が見えた。上り続けるとまた石灯篭とコンクリートの鳥居を通って、曲がってもう少し上ったら、最後の鳥居を通って、本殿を支えていた柱の間に渓谷の景色を眺めていた。今はもう屋根も壁もない。参道の横の看板には神社の原型について、こう説明されていた「神社の原型は寝殿、拝殿、手水舎、参道からなり、参道には鳥居三基、幟旗の台座五台、本殿に牛の銅像五体がありました…」

本殿に入り、神座があったところの前に正座した。もう神座がないけど、その代わりに、すばらしい景色が目の前広がっていた。祝詞のテキストを取り出して、一揖(いちゆう)、二拝(にはい)、四拍手(しはくしゅ)して祝詞を詠みはじめた。初めはリズムをつかめなかったが、詠んでいる間に、呼吸や体が調律に入り、私の写真をとっている観光客も気にならなかった。調律に入るのが気持ちよかった。あんまりに自然な気持ちで、まるで私が祝詞をあげているのではなくて、他人が上げているのを聞いているようだった。そう思った途端に、調律から外れた。この祝詞は新宮の熊野塾道場長の庵野先生が毎朝唱えている祝詞。長い天津祝詞のようなもので、私も読むのが遅かったので、十分ほどかかっただろう。その間に調律に入ったり、外れたりして、面白いと思った。合気道の稽古の中で技に入っているか動きがずれているかという感覚に似ている。終わったら、四拍、一拝、一揖して立ち上がった。

祝詞を上げるのは、日本でこれほど大きい神社では恥ずかしいのでやらない。これは私が台湾でしかできなかったこと。こうして、私が住んだことのない父の祖国の台湾である私の過去と私が住んでいる日本である私の今を結びついた。

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