Monthly Archives: October 2014

義,己之威儀也。从我、羊。
<説文>

在台北市大坪林麥当労吃早飯

「坐下吃」老太婆向孫子講。
「我不要!」孫子答。他約有五歲。
「奶奶不喜歡不聴話的小孩!帶你出來你又不吃!」
「我不要!」孫子始哭。
「我不是像你媽媽喲。他把你寵壊了!跟你講吃完以後才可以打開那個玩具玩!」
「我不要!」
老太婆續食。「等一下你在這裏,奶奶就回家了!」
孩子哭。
「下次我帶你弟弟出來,不帶你了。」
孩子哭。
「你還不吃?帶你出來你又不静下來吃。下次奶奶帶你的弟弟出來,不帶你。」
小孩弱言「好。」
老太婆莊毋有聴見。
「等一下你在這裏,奶奶一個人回家。」
小孩不言。

為何旧代有人會想控制甚至少年的胃口,我不知。將小孩 之無胃口視為己之侮辱。不餓而不食,何不乖?不餓而逼食,卻使孩子不信自己的感覺。

我願替孩子說,「反正你怎么決定他也只能按你的想法。但是他不想吃,你再怎么說也等於把東西賽在你孫子的嘴裏。他不想吃又沒有錯,沒在害你把。那樣讓小孩不信自己的身体的感覺,長大後要再怎么教他為正義而行為呢?」

我卻沒有說,看孩子已経在為自己沈默地抗拒。我祈願從今朝之事,小孩沒断魂,学会更有自信,學得個能寬容大人小人的浩闊的靈魂。

危ないこと三種

日本で合気道の稽古中に「これは危ない」というと「この動きで相手が怪我をする恐れがある」という意味。

台湾で稽古中に「這有點危險」というと逆に「この動きで自分に隙がある」という意味。

どちらでも遊びで「あの子は危ない」というと「あの子はとても楽しい」という意味。

基準の違い

台湾に引っ越して二週間後、会社である午後の会話。言葉が北京語だった。

「台北はうるさくて、引っ越してから一晩を通してねていない。」
「私の近所は静かだよ。」と同僚が大きい声で言った。
グーグルマップすで見た。「ここは二車線の道路が遠ているよ。俺のところは一つの斜線でも煩いと思っている。」
「静かだよ!」
「普通に話す声から推測するとビーさんは俺と静かの規準が違う。俺はこういう声でしょう。ビーさんはそれより遥かに声が大きい。」

ケーさんが俺と同じ声の大きさで「でも台湾ではそれが普通だよ。」

「うん、分かっているよ。ビーさんに別に静かにすることを求めていないが、声の大きさから音の敏感さを推測しているだけ。まして俺はちょっと繊細だと思う。耳も検査したら敏感。食べていい素材かは分かる。例えば今日食べてイタリア料理屋のピザ生地は冷凍のを焼いただとお店に確認できたけど、王さんは分からなかった。」

ビーさんが聞いて「あの角のイタリア料理?」
「うん。」
「パン屋の上?」
「うん。」
「あそこは超美味しいよ!」
「ピザ生地は冷凍で、オリーブオイルも安いのを使っているよ。」
「嘘!」
「とにかく、あれもあって、道は二車線だし、ビー声も大きいので、静かの規準が違うだろうと推測している。」

ビーさんは「確かに箱根の温泉に泊まったときに部屋で彼女と話していたら、管理人が来て、もっと静かにはなせませんかと頼まれた。」

「ほら!だろう?静かの規準が違うってば。」

Meeting the Neighbor

She was gesticulating wildly and speaking in Taiwanese, diagnosing the problem with my water heater as we stood on the street.

“Buy a new battery! A battery! Battery.” She waved a D-cell battery, showing that this was what she meant. Being of an older generation, she spoke very little Mandarin, and I being raised with only Mandarin at home, spoke very little Taiwanese.

“Yes, battery. I understand.” I repeat the word in Taiwanese and Mandarin. I continue in a mixture of Taiwanese and Mandarin. “And I’m telling you the pilot-light lights up fine. If the battery were dead, I wouldn’t have a pilot-light, would I? As long as the pilot-light gets lit, you’d expect the boiler to catch, wouldn’t you?”

“Just try.”
“Okay, but you’ll have to show me where it goes in.”
I bought a battery and came back.
“Can you show me where it goes?” She locked her front door, crossed the street, and climbed the stairs with me.
“So are you living in this place with your family?”
“No, by myself.”
“Yourself! Oh what a waste!” I led her through the front door.
“I looked at smaller places. Rent was the same.”
“How much are you paying for rent?”
I told her.
“Oh!” and she stuck her tongue out and looked down.
“Does that mean it’s expensive?” I watched her facial expression. “Cheap?”
“You know, this place was empty for a year!”
“Your curtains! How beautiful!” she repeated in careful Mandarin. “Beautiful.” then switched back to Taiwanese. “Did the landlord give you these?”
“No, I just bought them today.”
“Oh!”

I led her to the kitchen.

“Your washing machine is indoors. Why is it indoors?”
“The balcony is too small for it, if I put it there, I couldn’t dry my…”
“No, you mustn’t have it indoors, it should really be outside on the balcony.”

I led her through the kitchen to the balcony. She took one look at my gas water heater, saw how old it was, and said. “Haha! This? It’s probably broken!”

“That old, huh?” I said. She showed me how to replace the battery. “Ok, I’ll go in and turn the hot water on. Watch for me to see if the boiler lights-up.”

I went in to the bathroom and turned the hot water on. There was window onto the balcony, so we could talk to each other.

“Anything?” I asked.
“No. Your heater is broken.”
“Well thanks. We tried.” I turned the water off, walked back around, cut the gas off, then led my neighbor back through my kitchen.
“You should put your washing machine outside. When you cook, it’s right next to the gas stove. The heat won’t be good for it.”
“Yeah, I’m going to buy a heat shield.”
“You still will get oil splashed on it.” She pantomimed an oil drop leaping from the stove arching through the air and landing on my washing machine. Taiwanese cooking typically uses oil and water on high heat. I don’t cook that way. I often steam or simply coat the pan with oil and close the lid, preventing the oil from leaping out. But I didn’t feel like talking about cooking with my neighbor.

“Yeah.” I said, not meaning it. She could tell.
“I’m serious.” She switched to laboriously careful Mandarin. “I’m just telling you what’s good for you.”

I walked her back through my living room.

“How much money do you make?”
“I… don’t want to say. Thank you for helping me.” We had reached my front door, which I opened for her.
“Oh, it’s nothing.”
“Goodnight.”
“Goodnight.”

恋しい

金曜日夜暗く、陽明山の上からから台北を見渡して、光が蛍の畑の様に思えた。澄んだ空気の風邪が吹いてきて、深く吸い込んだ。数日間続いて風邪気味の感じだったが、風邪にならなかったので、汚れた空気だろう。陽明山の上の空気が緑の匂いがした。日が暮れてちょうど露が結露して、草木の気孔が開いていたので、共に息をした。

今はこの文字を打って、のどが痒くて、澄んでいる空気は胸が痛いほど恋しい。

野生猫の蚤取り

内の会社のある営業は野生の猫に蚤取りを行おうとして、獣医の友人に薬をもらった。効果がないと獣医に説明して、野生猫だと判明したら、獣医が「馬鹿、野生猫に蚤取りをしても、他所に行って、又蚤を拾ってくる。蚤取りをしてもしょうがないでしょう」と説明した。

交通不安

今日台北でお散歩したところに道を渡るところに車が左折せて、私に向かって、見えているのかなと思ったら、運転者の顔が見えたら、車にブレーキがかかって事故を逃れた。その運転者の顔はびっくりする顔だった。あの瞬間まで俺のことを見てなかったな。

バスに乗って、降りる側に原付が通ろうとした。人が原付の前に降りて、原付が急ブレーキを掛けて、事故を逃れた。

先日の散歩で自転車のレーンである自転車に乗っている人が鈴を鳴らさずにもう一人を追い越そうとしたところに追い越されそうな人が気づかずに突然進行方向がぶれて、追い越そうとする人にぶつけそうだったが、その人が声を出して、事故を逃れた。

結構こういうのを毎日のよう見える。

気をつけないと。

思い出すために忘れる

恵比寿の家で最後の夜に書いた。

今朝引っ越し会社が来て、荷物を梱包して持って行った。これから荷物が船便で行って、俺はアメリカに会社の製品説明会二参加して二週間後に荷物のちょっと先に台湾に到着する。

昨日は一日をかけて物を整理して、捨てたりもした。今日の梱包は予定した五時間より一時間ほど早く終わったけど、物の多さにびっくりした。ものを整理して梱包する為に時間と精神力を使って、嫌になった。

本の中から売りたい本を選んで売りに行ったけど、実は逆が良かった。持ちたい本を選んで他は買取に来てもらえばよかった。誰もが大体一つ手放せないもの部類がある。食品、服、電化製品など。俺の場合は本。今回の引っ越しで少し治ったかな。

ものを積み終わったら、バーガーキングにお昼を食べに行った。途中から泣き始めて、食べ終わって顔を洗いに行ってやっと止まった。今年の一年の行動のだるさに気づいた。台北と東京の行き帰りの疲れ、引っ越すと決めても、なかなか引っ越しの準備に始まらなかった。数年前には中華の文化圏にすごく行きたかったのに、台湾に出張で行ってもつまらなかった。

日本を離れるのが寂しいから、日本の規準で台湾を評価した。勿論、無理な事。疲れを台湾の文化の所為にしたり、人の仕事のやり方の所為にしたり、夏の暑さの所為にしたりしたけど、その背後に、実は日本から離れるのが寂しい。

そこで、じゃあ、何で台湾に行くの?と考えると、やっぱり仕事の理由だろうの思った。それは十分理に叶っているけど、仕事を中心に動く事は今まであんまりない。

日本に来たのも、文化と環境が好きで、来た。住み着いちゃって、十年の間に仲良くなった友達、辿り着いた一週間のリズム、足繁く通った武道の道場、見付けた憩いの場所、学んだ日本的な人の接し方。

台湾にこれらを連れて行けない。午後の飛行機に乗る前に午前に道場にでも行くかと考えたら、泣き出した。新宮病院の見舞いした先生が「稽古したい」と泣き出したのを思い出した。行く理由を疑った。十年間東京を家と呼んで、幸せ。根を深く張っているように思える。あんまりいると他行けなくなるから、今一度根を切って、自分を植え付ける。

夜は部屋を掃除をした。部屋にちゃんとお礼をしたいと思って掃除をした。清掃する過程で部屋が次第に原状に戻った。畳に雑巾を掛けて埃を拭いたら、いつの間にか依存して来たことも払拭したように思えた。台所の調理台と流しの錆びを落として、お風呂場のカビを落としてピカピカにした。綺麗に使っていたつもりだったけど、気づかずに汚くなったことが分かった。自分も心が純粋で直感で生きるつもりだったけど、いつの間にか色々期待と思い込みがついてきた。

部屋が復原すると共に、その部屋に十年前に入って、可能性でワクワクしていた私の気持ちも思い出した。物がない部屋は広く感じたて、入る物で何にでもなれる。台湾に行ったら、物を減らそうと決めた。部屋と同じように心は期待と依存を減らして広い気持ちで何にでも対処できるようになろうと決めた。部屋は簡単けど、心が難しいだろう。

もう3時頃だったけど、寝たくなくて、シャワーして、歩いてコンビニに行ってカップラーメンとオールフリーを買った。そういえば、忙しくて晩ご飯は食べてなと気が付いた。戻りに広場を歩き通りながら、その広場で一緒に歩いた友達のことを思い出した。

よくコオロギの声を覚えようと思って部屋に戻って、綺麗な畳に肌足で歩いて、照明を暗くした部屋で窓を空けて静かに食べた。気持ちを書き留めようとして、眠気が急に襲ってきて、畳の上に折ったタオルを枕にして、全部忘れて寝た。

食ショック

同僚三人と一緒に会社の近くのイタリア料理屋でマルゲリータを食べた。ピザ生地はまずかった。

ウエートレスが来たら、「この生地は手作りではなく、作り置きの物を買って焼いているでしょう。」ウエートレスが気まずい顔をして、目を逸らして、目線を辿っていくとちょうどマネージャーがいた。

「何でしょうか。」
「このピザ生地は作り置きのやつを使っているでしょう。」
「はい、メーカー製の物を買っています。」
「味で分かる。」
「自分で作ると大変ですから。」

王さんにサラダを譲ってもらった。別で小さいお皿にサウザンドアイランドのドレッシングがあった。前の日の食中毒で胃の調子が悪くて、オリーブオイルとワインビネガーのドレッシングで食べたかった。

ウエートレスが来た。

「すみません。オリーブオイルとビネガーを少しもらえますか。」
「何のためですか。」
「サラダに掛けて食べます。」
「私達のお店ではサウザンドアイランドをドレッシングとして提供していますが。」
「はい、それは分かりますが、私はオイルとビネガーのドレッシングで食べたいです。」
「オイルとビネガーのドレッシングはおいていないのですが。」
「だから、オリーブオイルとビネガーを持ってくれば、自分で混ぜて掛けます。」
ウエートレスが気まずい顔をして。「キッチンに聞いてきますから、少々お待ちください。ビネガーは白いのか黒酢か、どちらがいいですか。」

イタリア料理にバルサミコとワインビネガーしか使っていないので、ちょっとびっくりした。

「ワインビネガー。」
ウエートレスはそんな物聞いたことない顔をして。「少々お待ちください。」
行ってきたら、「キッチンに聞きましたが、そういうお酢はおいていないのです。」
「オリーブオイルはありますか。」
「はい。」
「オリーブオイルを持ってきて。いい?」
「はい。」
「あんまりサービスの概念がないね。」と言ってしまった。

王さんが弁解した「普通はもっといい。この子はちゃんと教育されていない可能性がある。」

オリーブオイルが来た。

「これオリーブオイルですか。」と聞きかけたら、ウエートレスがいなくなった。「色が薄い。」

サラダに掛けて食べてみた。「味が薄い。これは安いものを使っているね。ちょっとがっかり。日本ではけっこうどこのイタリア料理屋でもピザならちゃんと粉から作っている、オリーブオイルなら、バージンのを使っている。台北だと誰もそこまで味を気にしないのね。」暫く黙った。「いつの間にか、俺が細かい人になったな。」

姚さんが話題を変えて聞いて「食中毒になって医者さんに行った?」

「いや。二回吐いたら、吐き尽くして大分よくなった。」
「何を食べたの?」
「餃子。なんでかも分かる。三時に食べにいった。時間が微妙でしょう?おそらくお昼の作り残しを暖めて出した。」

上司にはカルチャーショックの話をすると適応の教育経験によくまとめようとする。「そしたら今後は食事をあんまりずらさない方がいいでしょう。」

姚さんが差し入れた。「でも、おかしいね。日曜日には時間をずれて食べる人が多いでしょう。」

上司が「あの店は回転がよくないかもしれない。」

 

途切れない意識

台北は東京よりうるさい。アパートにいると回りの人の話す声が大きい、町を歩いていると原付が煩い、住んでいるビルのどこかの入居者の飼っている鳩が臭い。あんまりに刺激が多いので、鈍感にならないと生きて行けない。私は却って新しいところにいるせいで神経がピーンと張っていて、ちょっときつい。基準を設定しなおさなければ行けない。

こういうところで周りの人の感覚が鈍いことと意識に途切れがあることが見えた。

今日のお昼御飯のお店で、レジの後ろに従業員が座って新聞を読んでいた。食べ終わって立って、レジに進んで、支払いにレジに着いても気付いてもらえなかった。財布を出して、紙幣を出すことで音を立てた。それから、レジの人が急に私が現れて事でびっくりしたような顔をした。

昨日会社の近くの信号に止まっているタクシーの前を通って、乗りたいと手を振った。まぶしいので、運転手に気付いてもらっているかが分からなかったが、ドアを開けて中に座った。運転手が記録をクリップボードに書きとめていたので、突然後ろにに人が乗ってきてびっくりした。

イケアで敷布団と掃除用品を買ってミニヴァン型のタクシーに乗って帰った。掃除用品でいっぱいの買い物袋とリュックを後ろの席に乗せて、運転手さんが「布団がそこに載らないだろう」といって、確かに載らない。自分が真後ろに回って、荷物ドアを開けて、布団を後ろに納めて、そして前に座らせてもらった。家に着いたら、支払いをして、運転手さんに「荷物を出すので、待ってください」といった。布団を出して、道端において、真後ろのドアを閉めて、買い物袋とリュックを録り指しに横のドアを開けようとしたところで、車が動き出した。ドアを開けて「待ってください」といった。運転手が気まずい顔をして「すみません。そこのも荷物があったことを忘れた」と説明した。

この話を台湾暦8年のアメリカ人同僚にしたら、こう答えた。私もそれに気付いた!でも、アメリカに帰ったら、アメリカも変わらないと思った!ただ、広いから、階段と廊下で邪魔に立っても人が通れる。

周りの意識の途切れの話を続ける。先週の土曜日に道を渡るのを待って、自転車に乗った中学生の男の子も待っていた。中学生の右前が近づき、自転車の後ろを通ろうとした。自分の左足が自転車の後ろに付き、その隙から右足を前に盛ってこようとしたら、自転車が後ろにずれて、私が自転車を蹴ることにならざる終えなかった。男の子がハッと振り向いてびっくりした顔をした。斜め前から近づいたのに私のことにぜんぜん気付いてもらえなかった。

この前の日曜日に道を渡るところに、自分の前に自転車に乗った4歳ほどの女の子が右後ろから斜め左へと横ぎった。対向に自転車に乗った少女がぶつかりそうだったが、スピードを落とすより、右にハンドル切ってさけて通ろうとした。二人が横に同じ方向にずれていたのでぶつかる軌道。対向の少女が急ブレーキをかけて、4歳の子の自転車の前輪の後ろの自転車フレームにぶつけて、4歳のこが倒れるとこで私が手をのばして、支えた。ケガもなかったので、子供も泣かなかったし、二人に「気をつけてね」と言って歩き続けた。

東京ほど込んでいないのに、台北では人はよく通り道とエスカレーターにも邪魔になるところで立ち止まったりする。この前イケアの食堂で食べることにした。そこで、人が避けて通れないところに女の人が立ち止まって携帯をいじっていた。女に「そこにたつと邪魔だから、他で立って」とお願いした。女は目を合わせずに立っていた床を確認して、半歩ほど右にずれて携帯電話をいじり続けた。変わらずに邪魔。自分が座って食べ初めて、観察をし続けた。通り道が肩幅二つほど狭くて、両方面の人が譲りながら通おらなければいけなかった。その真ん中で女が何も気にせずに携帯をいじっていた。けれども、邪魔された人は誰も不愉快な顔をしなかった。

ちょっと話が変わるけど、火曜日に給湯器に火が付かなかったので、大家さんに電話して、それから大家さんがガス会社修理を頼んだ。引っ越す前に部屋を見たときに全部の物の動作確認をして家主を疑う気がしなかったが、やっぱり全部疑ったらよかったのに。

ガス会社から電話があって、翌日の昼12から13の間に先生に見てもらうアポを取った。(台湾で修理などをする実務技術の人を師夫と敬称する。これは先生という意味。)その翌日の朝携帯を見て不在着信があった。折り返しの電話をして、ガス会社につながった。自分から「そちらから電話があったので折り返ししましたが、昨日御社でお昼ごろに先生が来るアポを取りましたが、それはまだそれで大丈夫ですよね」と聞いた。

「今調べますから、お名前、住所、電話番号を教えてください。」
教えたら、「今先生を探しますから、こちらからお電話させます。」

数分後、電話があった。「ガス会社なんですが、給湯器が働かないので、その調査の依頼ですね。」
「はい。」
「今日の六時頃は大丈夫ですか。」
「ええと、昨日の夜に既に御社とお昼ころのアポを取りましたが。」
「すみません。誰と話したかは分からないのですが。あの地区は私の担当だから、来るのは私です。今日はかなり埋まっているので、六時にならないと時間がないんです。」
しようがないねと思い「分かりました。六時でお願いします。お名前を教えてください。」
「堝(か)です。」
「では堝さん、六時にお待ちしております。」

11:30ころに電話がなった…

「ガス会社なんですが。」夜に話した女性の声だった。
「はい。楊ですが。」
「うちの先生が松山通りあたりから向かっています。」
「そうですか。」
「後三十分ほどにそちらのアパートに着くと思います。」
「分かりました。先生の名前を教えてください。」
「朝です。」
「ではお待ちしています。」説明してもしょうがないと思って、控えた。

朝さんがその30分後ではかんく、55分後に来た。来て、「差圧盤が行かれている。修理してもいいんですが、修理したら別のところが壊れてしまう可能性大です。」会社に電話して状況を説明した。大家の修理許可を待っている間に、朝さんがその給湯器に何度も修理の手が入っていることを説明した。着火器と回路版の二箇所に指を差して見せた。会社から電話がきて、大家さんの許可をもらったので、給湯器を取り外して、翌日の朝にアポを取った。

午後三時ごろに思い出した。堝さんに電話した
「堝さん?」
「はい。」「あの、こちらは大安区の楊ですが。お昼ころに御社から既に先生に見に来てもらった。」
「そうですか。では、私がもういかなくてもいいということですね。」
「はい。もう大丈夫ですよ。」
「分かりました。電話ありがとう。」
「とんでもないです。」

台北の事務所に人が増えたのでラボを同じビルの別箇所に移動して、エンジニアもそこに席替えしている。今週の月曜日に引っ越した。昨日電話しようと したら、電話回線に問題があることが分かった。携帯電話を使うしかなかった。今日、鍵で入ろうとしたが、どこの鍵か分からないけど、そのドアの鍵じゃな い。しかも同僚全員が私と同じ鍵だった。調べたら、おそらく合鍵を頼んだ会社がどうやら別の鍵を作った。

日本はすごくちゃんとしているから、台北は皆気楽だけど、気が抜けている。

結論。ここにいると改めて自分の弱さが分かる。如何に一日に人の記憶と良心に頼っていることが分かった。というのも人に何かをさせることができない。ある人に話を決待っても、その先に伝わらないかもしれない。人を動かそうとしても、動かないのかもしれない。約束した時間に人が遅れるか、こないかもしれない。言っても、覚えてもらえないかもしれない。自分が気をつけても、人に不注意で怪我をするかもしれない。抑えるべきポイントを抑えても、全部が崩れてしまう可能性がある。だから、「隙を作らない」のはポイントを抑えるだけではなく、崩れても大きなこころでそれを寛容市内と行けない。

十年に日本で感覚が繊細に磨かれたが、そこで同じ感性を周りの人に求めるようになった。台北の環境に適そうするために、市民が感覚を鈍くしているのだろう。でもちょっときつい。この一週間で音で寝られなかったり、人の鈍感さにぶつかってしまっている。程度の加減で、誰もが自分の世界に入っている。もっとマイペースになれれば、できれば自分の意識の途切れをなくしながらも、周りの人にその人の世界にいさせながら、お互い気持ちよく付き合える。これで、ちょっと台湾にいる間の目標ができた。

でも場合によって、人を動かすには、自分をちょっと厳しくて面倒くさい人として見せなければいけないだろうな。

少し変化していることが分かる。昨日買い物をして、エスカレータで人がステップの中ほどに立った何人かいた。近づいてもどかないから、小さい声で「すみません」と言っても気付いてもらえないので、そこでマイペースになり、軽くぶつけた。そうすると越される人が目もあわせず、嫌な顔もせず、少 しどいてくれてとおしてくれた。