象徴性

「相手が料理ができなくて別れたことあるよ。」
従姉の目が大きくなった。「何?私は結婚する前に料理できなかったよ。結婚してから学んだ。」おばさんが割り込んだ。「そうよ!私も結婚する前料理できなかった!」

「俺の同い年だったよ。今まで何をしてきたと少し感じた。」
おばさんは説明した「フィリッピンでメードさんが料理するの。料理する必要がない!」
従姉は「それ男女差別だよ。今頃の女子はキャリアがあってあんまり時間がなくて。」

「差別じゃない。俺だってキャリアがあって、趣味が沢山ある。料理もできる。」
「料理は学べるのよ。」
「学べないの。というのは料理そのものより、料理が何を象徴する。料理はいろいろ試してみて感覚を研ぎ澄ませてよくなること。誰かにいわれず、自分の好奇心からやるもの。それをやってないのはそこまで好奇心と行動力がないということ。料理を学べるかも知れないけど、それは変わらないの。」

今の発言で従姉に傷ついたかも知れないと気がついた。それでフォローした。

「料理が上手じゃないという問題じゃないのかも知れない。味付けの好みかも。味の好みが合わないと料理を二回しないといけない。」

おばさんはそうよ!うちの旦那は野菜が嫌いだし、肉と炭水化物しか食べないけど、こげてないと怒るの!

従兄弟四人全員笑った。「そう!」

おばさんは「だから昨日の夜に手羽先を作ったでしょう?あれはみんな用に半分を普通に作って、旦那用に半分を焦がしたの!」みんな大笑いした。

もっと寛容的に考えれば、家出をしてない子は料理ができないかも知れない。今でも実家の台所で母は私にあんまり料理をしてほしくない。俺は高校を卒業してすぐ家出をしたから、経験が違う。それもアメリカでは高卒が家出をするのが普通。日本では家出をしない人も多い。考えてみれば、料理ができないのは深い意味もないのかも知れないし、相手と味付けが合わないのも問題ないかも知れない。今はもっと寛容的になってもいいと思うけど、あのときの反応も誠実的だった。

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