Monthly Archives: July 2016

伝承

火曜日の夜、大学の卒業生に招待されて体育館へ合気道の稽古をしに行った。その学生が先月卒業したばかりで、公務員試験を受け、結果を待っている。その結果で抽選の優先が決まり、台北に残れるかに繋がる。台北に残って、いろいろと武道を体験して稽古したいとのこと。その相手とも、この二年間で稽古をして、同じクラスに出るときにそっちから、「稽古をお願いします」と積極的にきて後稽古を積んできたので、自分の教え子とも思える。

夏は大学が休みに入り、学生クラブがこの間解散で、稽古不足の私。社会人のクラブに行ってもいいけど、良くあるのは話が多い相手と組んでしまい、運動量が足りない。一度、ある道場で「あなたはそうやった運動的な合気道が好きですね」と批判気味に言われた。そうだよ。

大学生だと体力がよくて、まじめで、いい稽古になるから、好き。

こうして、一ヶ月ほど稽古をしていなくて、体育館で生徒と久々にすることができて、嬉しかった。一時間ほどほとんど無言で動いていたら、残りの三十分で道場の端で座った中学生らしい男の子に「ほい、稽古しよう」と誘った。三人で掛かり稽古そして取り受けAB, BA, AC, CA, CB, BC と組んでやった。これも、ほとんど無言。話さないのは相手への敬意。相手を動かせて、自分で気づかせる為に。こうすると技は私から教えるものではなく、私が相手に技に気づかせる為の物となる。師弟関係を敢えて設けない。こうしてお互いの稽古のためになる。

それで稽古の中で印象に残ったのは、中学生に入身投げの後ろ受けのやり方を指導して、相手が少し上手くなって、動きを速くて大きくしたら、相手が受けて、立ち上がって笑った。それまでにはその中学生が皆に無視されて座ってみていた。増して先週にその学生もある先輩と組んで技のやり方はああでもないこうでもないとむやみに指摘された。やっぱり、流れる方が楽しいだろう。

既に仕事で頭と言葉で考える事が多い。合気道は体で考える。その技がでる瞬間で悉くそれまでに組んだ相手の動きが具現する。そして、その動きが相手に伝わり、その人の目録に入る。過去、現在、未来を結びつく瞬間。

その大学生が他所へ行っても、技を持って行く。その中学生が楽しさを覚えて稽古し続けるかも。こうして、少しけれども合気道が広がり、未来へ伝わっていく。

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言少卻談深

「你跳的,少一個東西。」她說。
「少個什麽?」我問。
「少個身體的帶動。感覺上你用手,沒用動身體 。」她師範帶動了幾步。
「了解 。」
「只是一個小推薦。」
「沒有,我覺得很好。」

其實彼一日不順。朝畫趕忙,心情浮漂,足未落地,而果動作比平小。吾覺確如吾友所言。且吾友又能短時內覺得,並提改方之意。

心與體行。心者現於體,體亦響於心。 吾友覺吾作之異,是不只覺得吾心態,且示調之之道。

言少,卻談深。

Ghost Subsidy

「我不怕鬼。」我說。「我怕的都是很現實的東西。」
「那你怕什麽?」她問。
「我怕時間不夠。我怕時間會到,然後想做的還做不到。」

“I am not afraid of ghosts.” I said. “In fact, if I were afraid of ghosts, it would be a luxury.”
“What are you afraid of?” She asked.
“I am afraid that there will not be enough time – that the end will come, and there will be things left undone.”

「 其實,我有點想看得到鬼。」
「為什麽?」
「因為我最近覺得我生活於人造的還境。東西有點太容易預測。如果我能認為這個世界不只人世間的東西的話,我會覺得人生比較精彩。」

I chatted with a friend:

Me: i wish i could see them!
H: I used to, When I was little. Now I just know they are there
Me: really! you never told me
H: Yeah. I can hear them to when I allow it. Always been like this
Me: that’s interesting. I’ve never tried listening
H: ☺ Maybe you shouldn’t
Me: you don’t recommend it?
H: If you open that door it’s hard to close it

In my neighborhood there are many funeral homes. I have never felt any bad energy from them. Actually, my rent is cheaper than usual for a place of this size in Taipei. The reason is that Taiwanese believe in ghosts, and this results in roughly a 20% discount on my rent. Or, I can think if it as the ghosts subsidizing 20% of my rent.

This makes the ghosts feel very close, and I am thankful, rather than fearful. It as if I have invisible helpers. Yet, with this feeling of gratitude, it feels like I opened that door a crack. When I showered that night, it was as I usually do this season, with only the night light on and with cold water. The yellow sodium lamp from outside provides more light. I felt a presence. I looked. It was only my shadow, cast by the street lamp outside against the shower curtain. Funny that I had never noticed my shadow cast that way before. I breathed, and said a silent “thank you” inside. If there are spirits, I am thankful that they are subsidize my rent, and that we live together so well.

Listening

To listen is to close the mouth, open the ears and eyes, and to see. It is to quiet the mind, to breathe and dwell in this moment, to study what is before you, as well as the breathing and sensation of the body you inhabit. In doing so, to touch the oneness from which things were born.

In this silent breath there is not only receptivity, but also action.

Zhuangzi wrote that the experienced butcher hardly needs to sharpen his knife because its edge moves through the spaces between the bones. From the parable「包丁解肉」the butcher says:

方今之時,臣以神遇而不以目視,官知止而神欲行。依乎天理,批大郤。

“Now, I see with the spirit and not my eyes. My senses and thoughts stop – I move with the spirit. In line with nature, I cut in the big spaces.”

In Japanese, “to ask,” “to listen,” “to effect,” and “to be effective” are the same word.

聞く、聴く、効く、利く

When we quiet our minds, perception and action become two aspects of the same thing, just as we breathe in and out.

Utopia

Early morning last Sunday, I heard someone knocking gently but determinedly at the door in successive waves as I drifted in and out of sleep. As I woke, I realized that it was not a knocking at the door but rather the running of children up and down the hallway outside of my door. I wanted to sleep, but I checked the clock – just as well. It was 8:30 and breakfast would be served until 9:30.

My crankiness was tempered by the realization that the children must feel. It has been a hot summer. There hallway was air-conditioned. It had no obstructing furniture. They must have felt like they were in a utopia. I, too, when I was a child, and faced with large indoor spaces, like to run, too.

Like dogs when they are unleashed in Hoasõa Park on the grassy knoll – they run to and fro, they cavort with other dogs and other dog’s owners, and they freely use the bathroom with abandon. Utopia.

Isn’t that what we’re all working for – that euphoria that comes when we can run free?

卒業

中学校を卒業した時が思い浮かぶ。式はなかった。朝はいつものようにバスで学校に行き、午後はいつものように学校からバスに乗ったかえった。乗って帰る道に特別な会話もしていないが、心ではこう乗って帰るのがこれで最後だなと思った。
長い夏休みの向こうに、高校で何が起こるのか、何を学ぶのかがわからなかったが、分からないことだらけけど、それは少しも怖くなかった。
そのいつもと変わらない最後の午後が終わりと始まりの間の隙間時間。もう少しこの隙間でいるよう、スクールバスの運転手に少し家から離れた所で降ろしてもらった。運転手もそれでルートが短くなって喜んでいた。
6月のジョージア州の暑い南部の夏で歩いた。中学は惜しんだが、戻りたくはなった。これからもっと大きいことをやる。
今はあれから二十年以上も後。たくさんできたが、時間が全然足りないだろう。今日は事務所で同僚が病院こら帰ってきて話した。慢性的胃潰瘍で病んでいるが、検査は通常だった。通常という気持ちじゃなかったから、寧ろ通常だという検査結果で不安だといった。体が正常に感じないから、理由が知りたかった。それで他に胃潰瘍になった人の話と内臓脂肪について話した。文明病。この体の使わない、残業が長い仕事のせいかと話していた。
いつか、私がサラリーマンをも卒業するのだろうか。まずは命を燃やすのを辞める。今の仕事のやり方を辞める。
一度コンサル会社の面接で、なんで日本に引っ越したと聞かれた。日本の美学に惹かれたと説明した。例えば生花の間の使い方、慎み、静けさ。ギューと詰める西洋の美と違う。日本でこれが人の会話、ビルの設計、すべてに染み透っている。相手が戸惑った。発展しているアジアの経済に近づきたいという気持ちもあったんだろう、と提案した。
「いや、それはなかったね。」と私が答えた。話の中で、この人はまだ小学校を卒業をしてないだろうと思った。先生が好む答えたを出して、成績を請っている。先生が会社、成績がお金となったが、外的要因で人生を図っているだろう。
私の理想像。今の仕事のやり方を卒業する。少しでも自分も周りの人も楽しく仕事ができるよう。新人が部署に入り、益々権力と知識を周りの人に与えている。自立させて仕事を託す。私のことが要らなくなるほど周りの人を育てたい。
この二十年が速いのか、遅いのか。たくさん起こったが、まだ中学の最後の日が鮮やかに思い浮かぶ、そして自分の理想にはさほどぶれていない。今その時の自分と会ったら、友達になれるのだろう。
そして今の自分と二十年後の自分と会ったら、友達になれるのか。私には亡くなっている自分の英雄と先生リストも年々増えているし、全然時間が足りない。何日が残っているかも分からないが、今まで生きている人には、平等にこの1日が与えられ、明日も願わくは1日が与えられる。
これからの卒業は、静かで式がないし、内的な考え方の変化であっても、際立って自分で決めよう。